「迷うこと」に関心があります。

いや、建築は明快な論理や構造で揺るぎなく存在すべき「迷いのない」ものの代表なのですが、その迷いのなさゆえの、なにか根本的な都合の悪さが、最近、目立ってきているように思うのです。例えば、変化し続ける状況の中、迷いなく進行し続ける巨大建築プロジェクトの危険さは、昨今、社会から問題として認識されつつありますし、また、迷いなく自己完結した堅牢な建築のシステムが、様々な文化の多様性や、将来の予測し得ない人々の参与を除外していることは、多方面から指摘されている通りです。

僕は建築に「迷い」を取り戻したいと考えています。迷うことによって企図する者の内部でデザインは自己完結せず、世界に向かって開き始めます。自己内で完結しないのだから、周囲を迷いの輪に巻き込み始める。そうして一緒に迷いを共有することで、個々人の主体的な思索に基づいて社会が再組織化されていく。そんなことになったら素晴らしい。。。

リアム・ギリックの巨大なテキストは社会の確信(/盲信)を揺らがせ思考させる、つまり迷わせるトリガーです。これとともに作動する建築的な「迷い」の要素を、プロセスに、そしてデザインのアウトプットに仕込んでいくことを、目論みました。

具体的には岡山名産の巨大な集成材であるCLTを田の字に組んだフレームを用意する。これをズラしながら三段積むことで、立体的で複雑な経路網が折り畳まれた「迷いの空間体」を生み出しています。

幼少期以来、久しく味わっていない「迷い」や、その時立ち現れてくる世界の感覚を思い起こして頂ければ幸いです。

原田真宏 マウントフジアーキテクツスタジオ

「迷うこと」に関心があります。

いや、建築は明快な論理や構造で揺るぎなく存在すべき「迷いのない」ものの代表なのですが、その迷いのなさゆえの、なにか根本的な都合の悪さが、最近、目立ってきているように思うのです。例えば、変化し続ける状況の中、迷いなく進行し続ける巨大建築プロジェクトの危険さは、昨今、社会から問題として認識されつつありますし、また、迷いなく自己完結した堅牢な建築のシステムが、様々な文化の多様性や、将来の予測し得ない人々の参与を除外していることは、多方面から指摘されている通りです。

僕は建築に「迷い」を取り戻したいと考えています。迷うことによって企図する者の内部でデザインは自己完結せず、世界に向かって開き始めます。自己内で完結しないのだから、周囲を迷いの輪に巻き込み始める。そうして一緒に迷いを共有することで、個々人の主体的な思索に基づいて社会が再組織化されていく。そんなことになったら素晴らしい。。。

リアム・ギリックの巨大なテキストは社会の確信(/盲信)を揺らがせ思考させる、つまり迷わせるトリガーです。これとともに作動する建築的な「迷い」の要素を、プロセスに、そしてデザインのアウトプットに仕込んでいくことを、目論みました。

具体的には岡山名産の巨大な集成材であるCLTを田の字に組んだフレームを用意する。これをズラしながら三段積むことで、立体的で複雑な経路網が折り畳まれた「迷いの空間体」を生み出しています。

幼少期以来、久しく味わっていない「迷い」や、その時立ち現れてくる世界の感覚を思い起こして頂ければ幸いです。

原田真宏 マウントフジアーキテクツスタジオ

真鍋淑郎は1931年に愛媛県の四国中央市に生まれました。彼のように第二次世界大戦の惨状を目の当たりにした世代の人々は、人間の行動が地球全体にとっていかに脅威となり得るかを重々理解していました。多くの優れた気象学者を輩出した時代において、真鍋が地球温暖化の研究にもたらした数々の貢献は、現在起こっていることを分析•理解するために非常に重要だと言えるでしょう。私の関心はこの問題の科学的側面に光を当てるところにあります。私が真鍋の存在を知ったのは気候分析に関する初期の論文や資料を探し始めたときでした。真鍋は東京大学で学び、その後ほとんどの研究をアメリカのプリンストン大学にて行いました。私は彼の初期の研究論文を読みましたが、それらはいずれも具体的な数理を理解せずとも読み進めることができる内容でした。

真鍋は同僚の研究者とともに、地上から成層圏までのあらゆる地点に適応可能な気候モデルを生成するための最適な方法を模索していました。1964年から1967年の間に書かれた論文の数々では、これらのプロセスを理解するのに必要な気象学的方程式が導き出されています。私たちが作り上げる岡山の家は真鍋へのオマージュであり、彼の多大なる貢献への敬意を示すものです。

真鍋による方程式は優美な様相を呈すると同時に機能的であり、温暖化という問題について曖昧に注意喚起するのではなく、人々にそれに関わる科学的根拠や研究に目を向けてもらうことを意図しています。何よりも、現代において行われている気候分析を支える科学や数学的理論が、実は50年も前に導き出されたものであるということを知ってもらいたい。地球温暖化は政治的な問題ではなく、純粋に数学を通じて分析•理解することができるのです。

マウントフジアーキテクツスタジオとのコラボレーションはいわゆる「パラレルプレイ」 (発達心理学的にいう「平行遊び」)という形をとっています。彼らは私との話し合いをベースに建物の構造や詳細を設計し、そのファサードに私が真鍋淑郎の研究成果としての数式を加えました。真鍋の考えを反映するかのように、建物はシンプルであると同時に複雑でもあります。ファサードの方程式は数学という国境の無い、普遍的な言語を用いています。家というものは彫刻ではありません。私たちは人々が考え、眠り、生活をする場所を作ることを目標に掲げてきました。この「家」は建築家とアーティストが手を取り合い、地域の文脈やグローバルな問題について同時に考えることによって構築されたのです。

リアム ギリック

真鍋淑郎は1931年に愛媛県の四国中央市に生まれました。彼のように第二次世界大戦の惨状を目の当たりにした世代の人々は、人間の行動が地球全体にとっていかに脅威となり得るかを重々理解していました。多くの優れた気象学者を輩出した時代において、真鍋が地球温暖化の研究にもたらした数々の貢献は、現在起こっていることを分析•理解するために非常に重要だと言えるでしょう。私の関心はこの問題の科学的側面に光を当てるところにあります。私が真鍋の存在を知ったのは気候分析に関する初期の論文や資料を探し始めたときでした。真鍋は東京大学で学び、その後ほとんどの研究をアメリカのプリンストン大学にて行いました。私は彼の初期の研究論文を読みましたが、それらはいずれも具体的な数理を理解せずとも読み進めることができる内容でした。

真鍋は同僚の研究者とともに、地上から成層圏までのあらゆる地点に適応可能な気候モデルを生成するための最適な方法を模索していました。1964年から1967年の間に書かれた論文の数々では、これらのプロセスを理解するのに必要な気象学的方程式が導き出されています。私たちが作り上げる岡山の家は真鍋へのオマージュであり、彼の多大なる貢献への敬意を示すものです。真鍋による方程式は優美な様相を呈すると同時に機能的であり、温暖化という問題について曖昧に注意喚起するのではなく、人々にそれに関わる科学的根拠や研究に目を向けてもらうことを意図しています。何よりも、現代において行われている気候分析を支える科学や数学的理論が、実は50年も前に導き出されたものであるということを知ってもらいたい。地球温暖化は政治的な問題ではなく、純粋に数学を通じて分析•理解することができるのです。

マウントフジアーキテクツスタジオとのコラボレーションはいわゆる「パラレルプレイ」 (発達心理学的にいう「平行遊び」)という形をとっています。彼らは私との話し合いをベースに建物の構造や詳細を設計し、そのファサードに私が真鍋淑郎の研究成果としての数式を加えました。真鍋の考えを反映するかのように、建物はシンプルであると同時に複雑でもあります。ファサードの方程式は数学という国境の無い、普遍的な言語を用いています。家というものは彫刻ではありません。私たちは人々が考え、眠り、生活をする場所を作ることを目標に掲げてきました。この「家」は建築家とアーティストが手を取り合い、地域の文脈やグローバルな問題について同時に考えることによって構築されたのです。

リアム ギリック

Photos by: Yoko Inoue

CONCEPT DRAWINGS

Room LF CONCEPT DRAWINGS 01
Room LF CONCEPT DRAWINGS 02

FLOOR PLAN